テスターというものについて
注:ただの長文お気持ち。結論だけ書いておくと、「作品に関わるなら責任を持て、ユーザに理解や努力を押し付けるな」ということ。
先日、友人に誘われて公演型の謎解きを二本ほど参加して、一勝一敗の結果を残してきた。リアル脱出ゲームには周遊型という時間制限を気にせず街や施設を歩きながら観光ついでに遊べるタイプと、公演型という屋内の特定のスペースの中で制限時間内にミッションをこなすというスリルを楽しむタイプのものがあり、今回は後者の方、というわけである。とりわけ周遊と比べると制限時間がある都合上難易度は高いものが多く、脱出成功率はおよそ10-20%程度になる。参加者は初心者だけでなく、謎解き経験者が多数いる中でこの難易度なのだから、その難しさは推して知るべしだろう。そういった中で一つはかなりの時間を残して脱出、もう一個は脱出まであと一歩、というところまでたどり着けたのは、非常に満足の行く結果であり、また、失敗した謎解きを振り返った時の情報の散りばめ方、ヒントの匂わせ方に関して、気づけなかった悔しさは確かにあった。しかしそれよりも、その完成度の高さに感心するばかりであった。後味の良い素敵な体験ができたことに改めて感謝したい。
しかし、それほどまでに難しいのであれば、不満の一つや二つ出てもおかしくないのでは?と思うかもしれないが、こういった企業の開催する謎解きというのは、経験上高確率で脱出の成否にかかわらず満足度の高い体験をして帰ってくることになる。アンケート調査でも大抵9割を超えるユーザが好評の感想を残していると発表されている(当然、これには満足度の低かったユーザーはわざわざアンケートを参加するのか、といったバイアスがかかることには注意が必要である)。それはなぜだろうか?
個人の作成するWeb謎やVRC上の謎と、企業が公演として特定のスペースで行う謎との大きく異なる点、それは「解説」と「テスト」にあると思っている。「解説」とは、制限時間終了後、司会者が壇上で謎を振り返り、どうすべきだったのかを順番に説明していくフェーズを指すこととする。これは個人作成のものでは仕組み上難しいところがあり、基本的には成功および失敗を表示するに留まってしまう、または再挑戦を促す、という形にならざるを得ない。もしかしたら公演と同じレベルの解説を用意されている作品もあるのかもしれないが、私の知る限りではそういった作品にまだ出会えていないため、ここではその前提で話しを進めさせてほしい。もしおススメがあれば紹介してもらえると助かる。
実のところ公演型の謎解きは4つほどしか参加できていないため、このように仰々しく語ることが出来るほどその道の人間とは言えないのだが、それでも謎クリエイターのチャンネルの発言や、体験から推測できることとして、解説には次のようなテクニックが使われている。それは、参加者を置いてけぼりにせず、自分で気づかせて納得させる、という方法だ。
勉強や仕事でもそうだと私は考えているが、「AはBだよ」と単純に言われても、それがなぜ?どうして?というところに納得ができなければ、なかなか身に付かないし、教わっていて気持ちのいいものではない。「今Aという問題がある、どうやったら解決できそうだろう?」「なるほど、Cが使えそう。じゃあ、Cを使ってみるとどうなる?」「今回はCだとダメだったみたいだけど、このDという視点は良さそう。じゃあ、代わりに似た手法はないだろうか?」といったように、相手の思考を引き出し、言語化して、共通認識にしながら一緒に進めていく。こうすると、すれ違いが起きにくいし、相手は自分で考えながら解決まで導けた気分になる(と、思う)。あくまで主体はユーザ側にある、という考え方といえばいいだろうか。
話を戻すと、この考え方が謎解きの解説では使われているように思う。「振り返っていきましょう。皆さんが最後に解決すべき問題、それはAという問題でした」「これまでの情報から、Aを解決する方法はなかったでしょうか?」「そう、皆さんはBという情報を手に入れていますね」「では、BによってAを解決するには、このようにすればいいのでした」ーーといったように、ユーザは「うん、そこまでは分かってる」と思いながら話を聞いて行く。すると、時折、「あれ?じゃあもしかしてこれって……」と、解説中に提示されたヒントをもとに、解説より先に答えにたどり着くことがある。この時、解説による答え合わせによって「やっぱり!」「なるほど!」といった気持ちよさを得ることが出来、結果として脱出失敗にもかかわらず「全く分からなくて面白くない」ではなく、「もう少しで分かったのに悔しい」という思考と共に満足感が得られる、というロジックが潜んでいるものと思われる。
とはいえ、解説を聞いたときに「そんなこと思いつくわけないだろ!」とか、「知らなかったら無理じゃん!」、「こういう風に考えることもできるじゃん」といった形で、ユーザが納得できなければこの満足度は得難い。そこで大事になってくるのが、「テスト」という観点になる。これは学校の学力を図るような試験としての意味合いではなく、想定通りの挙動をすることを確認する意味合いをさす。一部のITエンジニアはこの言葉を聞くだけで苦い顔をするかもしれない。
テストで求められること、それは「正常系」「異常系」といった表現をされることがある。正常系はその名の通り、クリアまでの道筋で正しい思考プロセスと正しい回答を入力することで脱出できること、の検証と言っても良い。個人製作なら、回答入力フォームに文字列を入力したら、次の画面に進める、といった様子。一方、異常系というのは間違った思考プロセスや間違った回答に対して、次に進めない、といった様子。正直、正常系は出来ていて当たり前なので、あまり重視されることはない(が、恐るべきことに、このテストすら十分にできていない場合がある。あなたは本当にテストしてクリア画面に到達したことを確認してからリリースしたの?)。他方で、異常系というのはなるべくテストを行い、問題が生じないようにすることが大事である。少し一般のテストと謎解きのテストで毛色が異なると思われるのは、「別解が生じる余地が無いか」「ノイズとなる不要な情報はないか」が観点にあがることだろうか。
別解が生じる余地が無いか、とは、例えば「QK」を「きゅー、けー」と読めることから「休憩」が答えとなる問題があったとする。これに対し、「く、けー」と読めるから「矩形」も正解じゃないか、といったある種のゴネについて相手を納得させる回答を持ち合わせているか、もしくはゴネの根本原因を取り除けているか、ということだと考える。今回で言えば、「アルファベットの読みとして統一するなら、く/け、もしくはきゅー/けー、で、言葉になるのはきゅーけーであり、混ぜ合わせて無理やり読むには不自然だ」といった回答がある。根本原因を取り除くには、例示として「EI」は「言い合い」と書いておき、「えい」や「居合」にはならない、ということが分かっていれば、これを元に反論できるだろう。
では一方で、「10A」が「投影」という例示の後に、「9K」は何?という問題があったらどうだろうか。10のことを「とお」と呼んだにもかかわらず、9は「ここの」と呼んでも言葉にならず、「きゅう」または「く」のいずれで読んでも言葉になる。さらに言えば、「投影」は「とうえい」であるから、「とお」から更にひねった回答であるともいえる。このような問題はゴネられやすい、つまり想定解に対して納得しにくい、ということになる。(こういった場合、作者の想定解以外は不正解扱いになるケースが大半であるが、そのような注意書きが描かれていることは非常に少ない)
「ノイズとなる不要な情報はないか」については、謎解きに一切使用されないフレーバーテキストのようなものがあたかも謎解きのヒントのように織り込まれている状況である。極端な例であれば、「かたたたき」という文章と「たぬき」というイラストがあれば、「た」抜き暗号でかき、という謎解きの王道があるのだが、そこに「きつね」や「けむし」のような、居ても居なくても謎解きに影響を及ぼさないものが無いか、ということである。情報が多ければ多いほど、ユーザが想定しなければいけない可能性は指数的に増える。作問者は回答が分かっていても、ユーザにはそれが分からないため、「この情報を使う場合」「この情報を使わない場合」のそれぞれを検討しなければならないのだ。結果として不要な情報だった場合、脱出後も「結局あれはなんだったんだ?」というモヤモヤが残ることになる。解説で触れられなければなおさらだ。
このような納得感の薄い問題になっていないか、別解を考慮できているか、を検証するのが謎解きのテストだと思っている。そのためには、第三者に検証してもらうのが一番だ。自分には無い視点で、想定外の思考プロセスで、もしかしたら別解を生み出してくるかもしれない。ーーところが、クレジットにテスターが多数乗っているにもかかわらず、謎解きを解いた後に納得感の薄い作品というのが、個人製作の作品で見受けられる(再度お伝えするが、あくまで私の観測範囲の中で、である。)
この現象に関して、申し訳ないとは思うが、「本当にあなたたちはテストプレイヤーとしての役目を果たしたのか?」と疑問に思ってしまう。ただただ仲間内で、「先行体験会」程度の認識で、「面白い!いいね!」なんて正常系の確認だけして済ませてないだろうか?もしそうであれば、クレジットに名前が載る、ということについてあまりにも考えが浅いのではないだろうか。
勿論、個人製作した作品が自由に上げられるプラットフォームがあることは大切である。質を担保しなければ公開してはいけないというのも、新規クリエイターの参入障壁になりえるから、それもまた違うだろう。だからと言って、なんでもかんでも適当に済ませていいものでもない。少なくともテストを依頼したということであれば、質を良くしたいという思いが”双方に”あるはずだと思っている。勿論テストの結果100%の質を担保できるとも思っていないが、ちょっと確認するだけでも見つけられる改善点じゃないか、と思えるシーンもある為、そういったものを見つけると悲しい気持ちになってしまうのだ。
(少しわき道にそれると、3Dモデルのテスター募集を行う作者もおり、そういったモデルでもテストをしてもらっているのにメッシュの貫通が解消されてないなどを聞くので、そちらもただの衣装乞食になってないか心配である。)
私も少なからずゲームのテスト、文章の校正に携わった経験があるが、必ず「何を確認してほしいのか」を聞き取りしたうえで、「通常のプレイや読了で一回」「確認したい観点で一回」「クレーマーになるつもりで一回」ぐらいは少なくともやるように心がけている。それは重箱の隅をつついて作者を困らせたいというよりは、ユーザに公開されてから文句が飛んでこないように事前にチェックをして潰しておきたい、という思いからやっているものである。そのぐらいテスト、テスターというものは作品に対して真摯に向き合い、責任を共に負うんだという意気込みでやった方がいい作品を生み出せる、と信じている。
熱があるうちに書いておきたいと思っていたので勢いで書いていたらこの辺で満足し始めてきたので、そろそろ終わりにしたいと思う。あくまで私の持っている価値観を表現したに過ぎず、これが正解であるべき、それ以外は認めない、ということではない。批判は大歓迎なので、各々の作品への向き合い方などを主張していただけると知らない視点が見つかるかもしれないので参考にする。ちなみにこれらの文章は推敲という名のテストをしていないので、ツッコミどころも沢山ありそうだな、と思っていたり。
今度投稿するときはもっと日常とかでかいルルネちゃんとか楽しいこと書きたいね。ではまた気の向いたときに。







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